『私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私が宇宙をつつむ。』
(ブレーズ・パスカル)
『釣り人は考える竿である。』
(釣りパカ・スル)
(ブレーズ・パスカル)
『釣り人は考える竿である。』
(釣りパカ・スル)
2009年秋
目の前をアマゴが泳いでいた。おおよそ40センチはありそうなその魚は、綺麗な渓流の水によってまるでフワフワと浮いている様にも見えた。気取られないよう気を付けながら仕掛けを放り込むが、どこをどう餌を流しても見向きもしないどころか、竿を気づかれて岩の影に逃げてしまった。この時期にはよくある結果だ。しかし、その魚が雌ではなく雄だった事から、その辺にもペアリング落ちした雄が居るのかもしれない。まだチャンスがあると踏んだ。
その後、小一時間ほど釣り上がるが釣果はない。遡上止めとなるポイントまで来たところで尺程度の雄アマゴが釣れた。しかし、もっと大きな魚を期待していただけに嬉しさ半分だった。ふと、目を凝らして水面を見てみると、さきほど逃げられたアマゴよりもやや大きな魚が落ち込みの白泡脇からちらほらと見えた。その雄アマゴは私の気配に気づいたのか、ゆらゆらと白泡の向こう側に泳いでいく。そして、そこに居たのは同じくらいの大きな雌アマゴで、時折川底を叩いていた。産卵活動である。あぁダメだと確信した。
さぁ、どうしたものか・・。この遡上止めからの下流一帯は隈なく見たが、どうにも良くない。そこでさらに下流に遡上遅れの魚に可能性を賭けてみることにする。
3日ほど前に降った雨で増水ぎみの川を苦労しながら下っていく。そこでちょっとした流れ込みに対岸から木が覆いかぶさるように張り出していたポイントに出た。ここならまだペアリング前の魚がいるかもしれない。さっそく竿を振りかぶるが、思いのほか浅いのと、木が邪魔で仕掛けが流し辛い。そこで仕掛けを少し詰めて流してみる。すると、何投かした頃に目印が不意に止まった。また根掛かりかと疑っていると、水面下でオレンジ色の何かが揺れた。私にはそれが異様なモノとして感じられた。なぜならばソレを魚とするにはあまりにも大きかったからだろう。市街地を流れる川では投棄された衣類などが川底で揺れいる光景をしばしば目にする。そんなことが脳裏によぎったが、ここは山間の川だ。そう思った次の瞬間に目印が対岸に向かって叩きつけられ刺さった。反射的に力強く合わせ見ると、そのオレンジ色の何かは対岸に向かって突っ込んでいく。魚だ。釣り人の痺れる瞬間である。
しかし、ここからが大変だった。想定以上の大物に短竿で手尻を短くするとどうなるか。そう、引き摺り廻されるのである。魚が10m下れば、一緒に走り、糸0.8号の許される限り目一杯矯めてみるが、魚は意に介さず寧ろ上流に向かって走り出し、またほいほいと付いて行く。まるで、主人の言う事を聞かない土佐犬の散歩状態である。しかし、そんなやり取りを我慢していると、次第に魚が休みだした。チャンスとばかりに、仕掛けが短いぶん竿を縮めて寄せてみるが、竿が折れそうだ。仕方なく、自分がゆっくり後退してズリ揚げでキャッチした。
そこに横たわって居たのは紛れもない大アマゴだった。この川は大きな堰堤などに阻まれて、下流からは遡上できない。つまり居着きのアマゴということになる。恐らく居着きでこのサイズを見る事はもうないのかもしれないと感じさせられた一尾でもあった。
そこに横たわって居たのは紛れもない大アマゴだった。この川は大きな堰堤などに阻まれて、下流からは遡上できない。つまり居着きのアマゴということになる。恐らく居着きでこのサイズを見る事はもうないのかもしれないと感じさせられた一尾でもあった。